鹿児島県立美術館
設立を考える会

シン・美術館コンセプト

シン・美術館構想

博物館の父」町田久成から、
松方幸次郎「共楽美術館」への夢

 第25代島津重豪は隠居後、江戸高輪に博物館の先駆けともいえる「聚珍宝庫」(しゅうちんほうこ)を設け、国内外の珍品を収集していました。また薩摩藩英国留学生だった町田久成は明治5(1872)年、東京で日本初の博覧会を開催。博覧会は「人の知見を広むる」ため「天造人工の別なく宇内の産物」であるとし、「博物館」と称したこの施設がのちの東京国立博物館の礎となります。

 昭和初期には鹿児島出身の実業家、松方幸次郎が「日本人に本物の美術を見せたい」とヨーロッパで約1万点の美術品を買い集めましたが、大戦の荒波に翻弄され多くは散逸。 しかし約60年前、フランスに保管されていたコレクションが返還され、現在の国立西洋美術館が誕生しました。 松方は(共=みんなが共に、楽=楽しめる)「共楽美術館」を思い描いていたのです。

 郷土の先達が描いた夢のその先を令和の今、5つのコンセプトを掲げた「シン・美術館」構想に繋げ、美術館を核とした地域の文化力向上で、さらなる経済観光面の活力創出を目指します。

世界とつながる
ローカルハブ
機能を持つ
鹿児島県立美術館

世界とつながる「ローカルハブ」機能を持つ鹿児島県立美術館

0 1 . 開かれた美術館

  • 県民や観光客が文化に触れ、経済(周遊や鹿児島ブランドカアップ等)にも波及することによる幸福度の最大化が目標
  • 交通至便の立地で、誰もがいつでも感動と出会えるノーマライゼーションの美術館
  • 地域の文化力向上による地域経済活力の創出
  • 作家と観覧者が繋がる場、そのための施設や仕様

(講演会場や鑑賞後に集い語れるレストラン、鑑賞を深めるための図書館、感動を持ち帰れるミュージアムショップの充実や商品開発など)

0 2 . 「薩摩」=文武の国を
発信する美術館

  • 国内外来訪者への文化発信の拠点であり、同時に県民にも誇りとなる文化確認の場
  • その内容は薩摩、鹿児島が誇る「江戸期から現代に至る地元ならではの美術・工芸」など文化資源の系統展示を中心にキュレーションし発信(テーマは薩摩の文化アイコンであるサムライ、竹、鷹、黒、和洋融合、神話、田の神信仰など)

0 3 . 連携する美術館

  • 開館時は新規にコレクションは購入せず、県内の公私設美術館との連携による移管(特に黎明館収蔵品)や貸借、美術品の寄贈や寄託の受け皿に
  • 県内外ミュージアムとの差別化を図りつつ、強固な連携と協働
  • ICOMやアーツカウンシルネットワークとの連携をはかり、常に運営方法を進化更新する

0 4 . 学び合う美術館

  • 誰でも気軽に体験できるアトリエや、年齢・性別・国籍を問わない学びのシステム
  • 県民への全人教育として、創造する技術だけでなく“観る”技術向上が促される仕組みを
  • 経済人もアートを通した創造性を学べる場に
  • 公の美術館として、出張ワークショップや作家マネジメントなど美術振興の牽引役に

0 5 . 世界標準の美術館

  • 英中韓語表記は当然として、大型展覧会や多様な表現に対応できる設備、保管庫の充実
  • 建築のみでも魅せ、国内外の方々にヒットする唯一無二の建物(威容を誇る必要はない)
  • 単独の施設を理想とするが、周遊性を鑑み、景観を活かしたコンベンション施設やホール等との複合施設も考慮、最新の美術館としてSDGs仕様の可能性も追求

拠点となる県立美術館が
ない本県の現状

設、機能

  • 黎明館は県立の施設ですが、博物館機能が主であり、照明その他備品等の問題で残念ながら美術鑑賞には適していません。また美術専門学芸員の配置もありません。
  • 霧島アートの森、田中一村記念美術館も県立の施設ですが、交通アクセスが不便です。
  • 市立美術館だけではスベースが狭く、10万人規模集客の展覧会は厳しい状況です。
  • 同じ企画展で黎明館と市立美術館を共用することが多く、観覧者は歩いて移動せねばならず、高齢者、障がい者、雨天時などに不便を抱えています。

示内容

  • 拠点となる美術館がないため、全国の展覧会主催者からは「大きな作品は展示できない、多くの作品を持って行けない」として鹿児島は敬遠されています。全国規模の企画展が開催されても設備の未整備など物理的制約から、その規模は縮小されているのが現状です。

育、暮らし

  • 次代を担う青少年が優れたアートと出会い、実体験できる教育施設(常設のワークショップや作品制作が可能なアトリエ等)がありません。デザイナーなどの即戦力の技術を指導する人材も少なく、さらに生涯学習の観点からも、中高年層の学びと発表の場が不足しています。地域文化のアイデンティティを再認識し、感性を高め、誇りを持てる機会が減っているのです。
  • 教育現場での「美術」授業数削減や大学教育での美術科廃止により、若い世代の美術離れを食い止められません。結果、若者の県外流出は深刻な問題となっています。

  • 観光でリピート客を増やすには文化面の充実が必須ですが、文化拠点となる美術館がない現状では文化交流と経済活性化の大きな機会損失です。他県の大型美術館は年間数十万人も集客し、地域経済にしっかりと根付いています。
  • 世界はVUCA(不安定、不確実、複雑、曖味)といわれる時代に突入し、従来の論理では解決できない問題が増えています。その答えとして今、企業経営にアート思考が必要とされ、その感性を磨くためにビジネスマンが美術館に通います。経済界がアートを求めているのです。

考『県内中学校の「美術」の年間授業時数の変遷』

1951年には年間最大315時間あった授業時数が、1972年には175時間、現在では115時間まで削減されています。国の指針としての美術授業数減少の穴埋めは、各個人で美術鑑賞をするなど地域の美術振興策に委れねられています。しかし本県には本格的な美術展示施設が充分ではありません。本来、美術館は「全人教育の場」です。そのためにも年齢を問わずすべての人への教育サービスや文化的な生活向上の場として、充実した設備の美術館が望まれるのです。